にがり
にがりを使ったおいしい豆腐を求めて
私が豆腐作りを始めた頃に、お年寄りのお客様に「戦前の豆腐は甘かった」「もっと豆の味がした」という話を聞いて、実際どんなものだろうと思い、調べることにしました。手掛かりがないので、図書館へ行って本で調べたりしましたが、全くその辺りのデータがなく、メーカーの作っている冊子だとか、あるいは日本中歩き回って名の知れた豆腐屋の豆腐を買って調べたりしました。しかし実際に歩いて買ってきたものは基本的ににがりを使っておらず、おいしいものはありませんでしたので、結局手探りで一か八かいろいろなことを実験しながら自分で製法を考えてきました。そして結着剤を使うこともなく、にがり100%の凝固剤で絹豆腐を作れるようになりました。本当に手探りで時間がかかりましたが何のヒントもなかったが故にかえって面白かったですね。宝の山を探り当てるような感じです。
にがりの技術を磨き上げるために
にがり技術を磨き上げるためには、にがりの相手となる大豆の違いに対応する必要があると感じ、市場に流通している大豆を片端から使うようにしてきました。
また、全国から様々な種類の大豆を使った豆腐製造の依頼が来るようになりましたが、送られてくる大豆の量は、完璧な品をつくるための実験をするには少なく、一回である程度の豆腐が作れる技術を身に着ける必要がありました。目の前に現れた大豆を初見で豆腐に仕上げるためにはどういう技術や工夫が必要なのか、どういうことを感じとらなければならないのかと考え、努力と研究を続けてきました。
それらの積み重ねで技術を磨き上げるなかで、豆乳ににがりを加えて撹拌する「寄せ」の方法として、世間でいうところの二段寄せという方法が生まれました。
更ににがり技術を磨き上げるために、大豆が外から来るのを待っているだけでは遅いので、それならいっそ珍しい品種を自家栽培することに思い至ったわけです。
東京都青ヶ島のにがり
ある民放テレビ番組で八丈島のにがり云々の話が出ていましたので、八丈島役所か何かに電話で問い合わせをしましたら、「八丈島ではにがりは作っていない。隣の青ヶ島のことではないか?」と言われたことが青ヶ島のにがりと出会うきっかけでした。にがりのもととなる青ヶ島周辺の海水は、黒潮の流れの真っただ中にあり、栄養豊富で日本でも有数の綺麗な海水です。結果としてとても幸運で、とても良いにがりに当たったと思っています。
にがりに私は人生を救われた
私のことを「種から豆腐まで」ということで注目してくださる方が多いのですが、私が最も重要視しているのはあくまでも、にがりです。「豆腐に私は人生を救われた」と言うよりもっと原点をたどれば「にがりに私は人生を救われた」と言ったほうが良いと思います。にがりの面白さ、奥深さ、にがり技術を極めるためにどうしたらよいか、ということを探求するために種から大豆を育てることになったわけです。自分の人生を面白くしてくれたのはにがりだと思っています。