まったくなにもせず普通に仕事。救いようないのかな?
唐十郎さんが亡くなる。北の国からの二時間もの、だいぶ最後のほうでしたが、存在感たっぷりで出ていてびっくりした記憶もあります。こういう馬力のかたまりみたいなひとのことを考えると夜8時になると眠くなってしまうというのも恥ずかしい限りです。気力の衰えとの闘いがこれからのすべてなどというと、かっこいいのだが生物学的には遺伝子のなかにいろんな”劣化、消耗”が組み込まれているのかしらね・・・だからこそ闘うのかしらね。
相変わらず”片づけ”は進行中。父母のときのものも残っていたりで万が一自分もになってしまったらトリプルになってしまいます。
昭文社の「山と高原地図」のもっともこの辺では初歩的な『奥武蔵・秩父』を見・読みながら空想ハイキング。実際に歩いたところだらけで風景が浮かんで来たりで楽しかったですが結構位置関係がずれたり勘違いが多いのに気づきました。かたくりで思い出した鳥首峠が妻坂峠と入れ替わっていたり。名栗のさわらびの湯から蕨山へ向かう金毘羅尾根の南側の谷は湖になってしまっていたり、同じく蕨山を西に下ったところには東屋だろうか、作っている最中に通った記憶があるし、相変わらず点線の矢岳は登り口が林道終点からとわかりやすくなっていたり。奥多摩では酉谷小屋が再建されたのだろうか、コンクリの土台だけあって水はしっかり出ていたのはもう何十年も前、一杯水避難小屋はジョン・レノンが殺されたニュースを聞いたのが日原からの上り途中。何回もここは歩いているので記憶がだぶっているかもしれないですが入間のなんとかさんというおじさんがよく建設中の小屋にきていて仕事していました。仲間と月明かりの中小屋目指していたこともあります、ここの雲取からの派生尾根長澤背稜はほんとに好きなコースでしょっちゅう出かけていました。熊倉山の谷津川林道コースはいいコースでしたが台風か何かでコース上部ががけ崩れで崩壊し通行禁止になってしまったことはその前後に登っていたので知っていましたが頂上から酉谷山への稜線歩きは相変わらず点線のようです、熊倉山頂上にはおおきなごみ箱がおかれていたのも覚えています、ごみとリサイクルの意識はまだなかったんですね。メガネをかけてよく見ると酉谷小屋は旧の場所ではなくて長澤背稜上のようです、水も掘ったのかしらね。・・・書き出したらきりがないですが、国道299号からそう離れていない尾根で低山歩きをしていてクマと思われる爪のひっかき傷の木をみたりとかいのししの蒐場(ぬたば)を見たりは数十年前にもよくありました。