おととい打ちました。一回目です。昨日一日肩痛かったですが夕方には少しかゆくなり今朝は治っていました。
ウチで管理している神社のケヤキ2本が片方は皮だけで立っている状態で手で押すとぐらぐらしているため、もう一本も100年以上のものですが盛り土した丘状のところにあるのと胴切りしてあるとの悪条件とが原因と推定しますが春先に小枝伐採した後新芽が出ず枯れてしまいました、ということから2本とも残念ながら伐採してしまいました。前者はB29の爆弾の爆風で胴体が深くえぐられた状態でしたが皮だけは生きていて毎年新芽を出していました・・・新聞や郷土史の先生によく取り上げられました。
自分の生きた時間の2倍以上は生きていた先輩で世の中をたくさん見つめてきた’いのち’だと思うと、この伐採はとてもつらいものがありました。神主さんにお祓いしていただき家を建てるときや結婚式の時の儀式よりも重々しいものを感じました。祝詞はこの伐採のために神主さんが想いを込めて漢文で認めたものを読んでいただきましたが神社の来歴、B29のことまで含めてとても温かでやさしい言葉の連なりでした。祝詞なんて・・・定型を読んでるだけかと思いましたが神主さんの口から出てくる言葉はわかりやすくて命あるものに対する敬意にあふれていました。こんなに感動した儀式は初めてです。
この神社は金山神社で鍛冶屋さんの神様です。近くに「かじやと」という屋号の旧家があり室町末期の定住と考えられますが「かじやと」は「鍛冶屋後・跡」と推定され、その旧家が定住する前に鍛冶屋さんがあったのではないかと考えられます。私たちの集落は少し離れたところにある北条氏系の出城の信長に負けた敗残兵の作った集落で鎌倉街道の枝街道という観点からも、この鍛冶屋の神様は相当古いものと考えられますが土地の売買の繰り返しの中でウチが明治か大正の段階で世話を始めたようです。ウチは鍛冶屋ではありませんが、曾祖父・祖父が荒に荒れたままにしておくのに耐えられなかったのだと思います。
神主さんに植えてはいけない木はなんですかと聞きましたが、別段深く考える必要もなく常識的に考えればいいとのことなので大きくならない木にしようかなと考えてます。2本の大木がなくなった神社は殺風景で神様がさびしそうです。榊が家に2本あるので挿し木で植えてみようかなとも考えてます。
物置状態になった2階の部屋からギター独奏のCDをすべて下に持ってきましたが15枚(組)ほどしかありませんでした。レコードは機械がスタンバイ状態にないのでだめです。武満、ヴィラ・ロボス、バリオス等の有名なものばかりですがなんとヘンツェの書いたシェイクスピアをヒントにした2つのギターソナタがあり楽しみです、開封してありますが記憶は全くありません。川俣さんのおかげでしばしギターに特化しそうです。