あるだけ学校給食に使う。
全国でスズマルを給食に加工している豆腐屋はまずないと思う。
これは贅沢である。
さてきょうは脱皮大豆のロスとして発生する”挽き割り”大豆を豆腐に加工する。
当然のことながら皮はない。
粉状でもなくまだ”かけた豆”であることは判別できる。
ただし少し時間がたっている。
・・・・。
豆の”くせ”は抜けている・・・ただしこの”くせ”こそ豆であるということを忘れてはならない。
最近脱皮大豆の豆乳が増えてきて、豆乳の飲みにくさととらえられていたものが抜けて豆乳も牛乳並みにうまいものだな、と認識されるようになってきた。ただし待てよ、これは牛乳になれてしまった味覚からの判断言い換えれば欧米化に汚染された味覚であるということを忘れてはならない。
基準というものはその国・風土という背景を無視してできあがったものではない。
脱線してしまったが、このわれた状態の豆は酸化が早い。皮がないからである。ただし皮がないことでいわゆるくせはない。「あくは力なり」という辻嘉一さんが言っていた日本料理の美意識には反する。
でもまあ多様性ということでひとつのあり方としては評価しよう。