北国や高山の

150 150 山下とうふ店

春と夏がいっぺんにやってくるのに似て今年の大豆の枝豆・できあがりは品種の時間的差があまり生まれずいっせいに同じ時期にやってきたような気がします。今年は種取り多品種は草ぼうぼうにしてしまい失敗でした。医者がよいが多かったことと体力・気力の衰えが原因かもしれません。借金ナシは良く実りもう枝豆時期は過ぎてしまい黄葉が始まっています。巨大粒のXとYは枝豆まっさかりで去年のような高温障害もなく今年は豊作かと思われます。うまい枝豆です。

 キンドルで『日本人の知らない 日本一の国語辞典』というのを一ページ9行、メガネなしで読んでいます。これは楽しいです。この手のもの、辞書編纂者や言語学の概論みたいなものは好きです。OEDの編纂者のもおもしろかったです。ところでパソコンの脇には武澤先生のぶ厚い新刊が鎮座ましましていて早く読んでくれとせかしています。これは大変そうです。

 虹の橋、ということばがいま話題になっているそうですが古事記・日本書紀、聖書や日本や世界の名著でだれかが言った重要な比喩とかのいわゆる”基本的な教養”にかかわることばなら話は別ですが、キムタクが浜ちゃん/西田敏行にたいしてこのことばを使ったことが非難に値するのかどうか私にはわかりかねますが、このことばを歴史的な使用前歴を意識せずに自分の気持ちから自然に出た言葉とするならば素敵な比喩だと思うのですがね。虹の架け橋にはそういうイメージを起こさせる雰囲気があると思います。このことばで最も有名なのが『ラインの黄金』で虹の架け橋でヴァルハラ城への神々の入場するというのがよく知られたこの言葉の使われた例ですが、キムタクがワーグナーを知っていたかどうかはどうでもいいとして、人類の多くは虹の橋を渡って向こうの世界へ・・・希望をもたせる意味合いの語感を抱くのはごく自然なことのように感じました。