中途半端な

150 150 山下とうふ店

雨模様の時は東京アメッシュを見ます。雲の状態、移動方向をみて畑に行くか否かを決めます。台風、雷の時もよく利用します。2時間前からの雲の動きが「動いて」みられるので今から先への移動方向もおおざっぱに推測できます。きのうは大正解で、出かける態勢になっているときにぱらぱらと降ってきたので迷っていましたが、パソコンを開いて”大丈夫”となかば確信、go! で正解でした。きょうは夕方用事があったのでそもそも行かない予定でしたが、その時間しっかり降っていたのである意味”ラッキー”でした。

畑は新規のところが3部構成になっていますが、すずの大豆はOK。真ん中の自己所有の最大粒の在来種は発芽しなかったものが多く隙間だらけ・・・ということは隙間に草だらけなのですが、かえって刈りはらい機は使いやすく楽しい草刈りでした、タネはとれる、不耕起栽培だと思えばいいです、・・・耕うんしない。もうひとつは最初に蒔いた在来種の発芽がやはりよくなかったので、つぶして借金ナシに。発芽はよかったのですが、中耕のやりづらかった幅がせまくなってしまった畝で大きな草が生え処理に苦しんでいるところです。畝幅の乱れは畝幅を2尺五寸から90センチに広げた設定が種まき機の使用時にきちんと調整されて蒔かれていなかったことです。トラクターの前輪が先行する種まきによってついた”跡”にぴったり合わせると2尺五寸になるのですが90センチにしたときに生じるズレをきちんと認識していなかったからでしょう。来年は春先に”訓練”しておこうと思います。

先日日高のごまお姉さんがいきいきとした姿でテレビに出ていて元気づけられましたが、こちとらのごまは倒伏しやすいタイプというか倒伏しやすい成長期にあたっていたのかどうかわかりませんが、あまり倒れていない品種とたくさん倒れている品種と明暗が分かれた状態になっています。風というよりぬれた葉っぱの重みで倒れるというところが大豆と似ているなあと思いました。

先日昭文社の登山地図『奥武蔵』で空想登山を目立たない点線の山で楽しみました。楢抜山、大日堂から仙元峠越え、有馬尾根、矢岳から坊主山、・・・そして日原の一杯水避難小屋は40年くらい前だろうか、造っている最中に何度も訪れたこと(たしか入間の菅野さんとかいうおじさんがよくいました)や日原からの登り途中でラジオでジョンレノンが射殺された事件も知りました。さらに当時は”跡”しかなかった酉谷小屋が再建されていることにも気が付きました、当時でも水はしっかりと出ていて一杯水と比べるとよき水場でした。ここで小川谷におりて帰宅が普通でしたが、何回か雲取までがんばったこともあります。・・・とまあ、楽しい空想記憶登山でしたが、登っている山にしか空想登山は通用しないのかなとも思いました。きょうは打田さんの『西上州』で楽しんでいます。最後の校訂の版ということですが、よくもこんなにすみからすみまで歩き通したものだと思います。秩父槍ヶ岳は中津川の集落への尾根伝いの道があったはずですが点線も消えていました。南天山は自分が登ったころは頂上付近は山火事の後とかで木は生えていませんでした。北側からのルートは書いてありませんでしたが、南側から実線のルートが付けられていますね。木がなければ御巣鷹山は指呼のうちでしょうね。さらにこないだ起きた鉱山の洞窟にて起きた事故はどこだろうと探してみました。幽霊の出る両神村村長さんの自宅のすぐ下にあった白井差小屋、ここからのルートは通行禁止になったとかです。あとからあとから記憶がよみがえってきますが、山登りの回数自体はそんなにないのでかえって記憶がはっきりしているなんてこともあるのかなと思ってます。高所恐怖症なので木の生えていない岩は不得手でした。

あたたかいコーヒーを飲むようになりました。これにきんもくせいがにおい出すと「またひとつ歳をとった」になります。