初クーラーかなとも思いましたが窓全開で済ませました。
丹波の黒豆、というのは大豆の世界では品種名でありいわば国家の登録商標みたいなものでしょう。
一般の人から見れば「丹波の黒豆、丹波黒」といわれれば丹波という地域で作られている黒豆、という認識をいだく修飾語付きの単語ととらえてしまうでしょう。そもそもがどのへんでというピンポイントの地域特定は不可能なのでしょうか。商品名としては国民的な認識としては「丹波篠山」で収穫された巨大黒豆ということになっています。
品種名であるがゆえに山形で栽培されても、埼玉で栽培されても・・・さらには中国大陸で栽培されても「丹波の黒豆」です。どれも違法表示ではないと思います。つまり生産地を冠して「丹波の黒豆」ということしかできないのでしょう。丹波篠山がピンポイントの”原産地”なのかどうかは私にはわかりませんが、篠山の黒豆の作り方がおよそ大豆の作り方とは違うていねいきわまる作り方であることはたしかです。自然状態ではあの”とびっきり”という最高サイズにはほとんどなりえません。ただ、枝豆での比較ですが、山形でも埼玉でも長野であっても粒はちいさいとはいえ似たような美味をもたらしてくれます。さとういらずも各地で栽培可能ですが安定的に美味です(津軽海峡は越えられません)。
すずの大豆は桧原村に残っていた豆ですがもとはといえば八王子から持ち込んだという話です。山間部には嫁入りの機会などを通して、他の地域からの持ち込み産物・植物が本家本元で消滅してはまった後も残っている場合が多々あります。山間部がピンポイント的に原産地であるかどうかについてはきちんとした検証が必要です、検証不能の場合がほんどでしょうか。
豆腐もそうで古い時代に都会からやってきた豆腐の作り方が本家本元の都会では消滅・変化してしまったものがえんえんと山間部に残っていると考えられるものがあります。各所に残っている”固豆腐”はそれだと思います。
大豆という植物の歴史を考えると始まりは「つる豆」で、その中に変異として直立したものがでてきます。私の畑で千葉県で採集されたつる豆を一反蒔くと3~5株くらいそれが出ます。それを選んで蒔き続け、変異を選びさらに蒔き・・・という具合にして今の普通の大豆ができてきたものと考えられます。選抜改良というのでしょうか。農耕のルーツを考えれば平野が初め、と考えるのが自然です。山の中にあった山菜やキノコは別として、こと大豆に関しては平野がルーツと考えるのが私の推論です。したがってごくごく狭い山間(やまあい)を大豆のピンポイント的な原初ルーツとは考えにくいことです。
在来種をまちおこしに使うところが多くなりましたが、学問的に「ほんとのはじまり」と「古くから伝えられてきた」ということは別問題だときちんと整理しておくことは大事だと思います。
私は何でも屋で、自分の畑でためして作ってみてさらに加工してみて・・」という研究をしていますが、学問以前のただの遊びかもしれませんが「にがり」という観点からすれば”学問”だと信じています。収穫したタネは売るわけではないので、種から豆腐までで完結した実験となります。このことを理解していただいた上での皆様への提供になります。
でも自分にとって最も大切なことは「うまい」、「おもしろいうまさ」ということです。